北条早雲(ほうじょうそううん)
戦国大名[日本]
(永正16年8月15日没)
(ユリウス暦) 1519年 9月8日 死去享年64歳

北条 早雲 / 伊勢 宗瑞(ほうじょう そううん / いせ そうずい)は、室町時代中後期(戦国時代初期)の武将。
戦国大名となった後北条氏の祖・初代である。
「北条早雲」の名で広く知られているが、実際は存命中には「伊勢」の姓を名乗っていた。
名前=
京の都や西国で室町幕府の重臣として仕えた伊勢氏の一族であり、号は、早雲庵宗瑞(そううんあんそうずい)。
後世においては「北条早雲」の名で知られているが、生前に本人が北条早雲と名乗ったことはなく、署名も「伊勢宗瑞」や「伊勢新九郎」などであった。
早雲本人は北条氏とはつながりは無かったが、彼を祖とする一族が北条を称したのは早雲の死後、嫡男の氏綱の代に関東の新たな大名として定着してからである。
諱は長らく不確定で、長氏(ながうじ)を筆頭に、氏茂(うじしげ)・氏盛(うじもり)などとも伝えられてきており、近代に作られた小田原の早雲の碑文には伊勢新九郎長氏と表記されたが、1990年代後半からは盛時(もりとき)が最有力となり現在では伊勢新九郎盛時が定説となっている。
通称は、新九郎(しんくろう)。
諱よりもこの新九郎の名の方でよく知られている。
『尊卑分脈』では「八郎盛時」と書かれており、「伊勢家書」には文明10年(1479年)2月28日に足利義尚の御供をした人物として「伊勢八郎盛時」という記載があり、本来の仮名は八郎(はちろう)であったとも考えられている。
生涯=
出自=
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