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柳家小せん 氏

落語家[日本]

2006年 10月10日 死去肺炎享年83歳

柳家 小せん(やなぎや こせん)は、落語家の名跡。
初代とされている小せん以前に、文久元年(1861年)2月生まれで本名が田中万吉の小せんの名前が1889年、1892年の「名簿欄」に見え、いわゆる『文之助系図』でも2代目禽語楼小さんの門人にこの小せんがいた事が記載されている。
以前は本所松倉町で畳屋を営んでいたという。
芸風、改名歴などは不明。
現在この小せんは代々に数えられていない。
2010年9月に5代目鈴々舎馬風門下の 鈴々舎わか馬 が5代目柳家小せんを襲名。
初代 初代柳家 小せん(1883年4月3日 - 1919年5月26日)は、落語家。
本名は鈴木万次郎。
浅草福井町の提灯屋を営んでいた2代目三遊亭萬橘(元:4代目七昇亭花山文)の実子。
1897年に4代目麗々亭柳橋の弟子になり柳松となったが、師匠柳橋の死去にともない3代目柳家小さん門下に移って小芝となり、その後小せんに改名した。
丁寧な演出と敬愛してやまなかった兄弟子3代目蝶花楼馬楽譲りの警句を交じえた巧みな口調が早くから注目されており、落語研究会の有力な若手として期待を集めていた。

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の言及 【落語】より …とくに円喬と小さんは名人とうたわれたが,円喬は円朝の集大成した江戸落語に磨きをかけた意味で前時代につながる人であり,滑稽噺に人情噺の人物描写の技術を導入して噺を芸術化した小さんは現代に直結する人だった。[大正から昭和初期の落語界]大正になると,活動写真やオペラの流行から落語は不況に向かったが,小さん,円右,円蔵の重鎮以外では,2代蝶花楼馬楽(ちようかろうばらく)(1864‐1914),初代柳家小せん(1883‐1919),4代古今亭志ん生(当時は金原亭馬生)の3人が江戸っ子風の反俗的芸風によって,多くのファンや文学者に愛された。また,英語まじりのナンセンス噺によって,特異な人気を集めた初代柳家三語楼(1875‐1940)もいた。… ※「柳家小せん」について言及している用語解説の一部を掲載しています。 (引用元 コトバンク)