矢野誠一 氏(やのせいいち)
芸能評論家[日本]
2025年 7月23日 死去心不全享年91歳
矢野 誠一(やの せいいち、1935年3月18日 - 2025年7月23日)は、日本の芸能評論家、エッセイスト。
東京市代々木八幡出身。
歌舞伎学会、日本文芸家協会会員。
都民劇場(銀座)理事、早川清文学振興財団理事。
演劇雑誌「悲劇喜劇」(早川書房)編集顧問。
人物=
麻布中学校、麻布高等学校卒業。
中学時代から「映画研究部」に所属し、先輩に山際永三、福田善之、和泉二朗、佐藤重臣らがいた。
1956年、文化学院卒業。
劇団三期会(のちの東京演劇アンサンブル)の演出部に所属。
1962年、8代目桂文楽、6代目三遊亭圓生、5代目柳家小さんなど、戦後屈指の名人を一堂に集めた「精選落語会」(イイノホール)をプロデュース(~1968年)。
1967年「上方寄席’67」「東西交流落語会」の制作・企画で芸術祭奨励賞。
1967年5月2日、桂米朝の東京初の独演会「桂米朝 上方落語の会」を紀伊國屋ホールで開催、この会を契機として桂米朝の名が東京でも知られるようになる。
1962年に一号だけ出た同人誌『落語白書』に最年少のメンバーとして参加(他のメンバーは江國滋、尾崎秀樹、倉田芳郎、小島正雄、境田昭造、清水正二郎(のちの胡桃沢耕史)、都筑道夫、友竹正則、仁尾一三、星新一)。
落語を中心として評論活動を行っている。
1969年から東京やなぎ句会に参加し、俳号は「徳三郎」。
5代目春風亭柳朝、7代目(自称5代目)立川談志、3代目古今亭志ん朝、5代目三遊亭圓楽を「若手四天 ……
矢野誠一さんが亡くなってから、12日が経ちました。