桂文楽(かつらぶんらく)
落語家・8代目[日本]
(本名・並河益義)
1971年 12月12日 死去享年80歳
桂 文楽(かつら ぶんらく)は、落語家の名跡。
四代目(デコデコ)と八代目(黒門町)が特に有名である。
当代は九代目。
旧字体は桂文樂。
初代桂文楽 - 後∶桂大和大掾
二代目桂文楽 - 後∶五代目桂文治
三代目桂文楽 - 後∶六代目桂文治
四代目桂文楽
五代目桂文楽
六代目桂文楽 - 存在しない。
七代目桂文楽 - 存在しないとされているが、五代目が七代目という可能性がある(後述)。
八代目桂文楽 - 「桂文楽」といえば八代目を指すことが多い。
九代目桂文楽 - 当代。
由来=
桂文治は落語桂派の宗家である。
その3代目は、江戸の人であったが、大阪に行き、3代目桂文治を襲名した後に江戸に帰った。
これが桂文治名跡の東西分裂の一因となった(よって彼を「江戸文治」という)。
江戸文治は養子の初代桂才賀に桂文治の名を譲ることにした。
次の名として自らの師匠の名(二代目)三笑亭可楽を名乗りたかったが、師は現役のままだった。
そこで次善の策として、文治の「文」と可楽の「楽」を組み合わせ「文楽」という名を作った。
初代文楽は桂文治の隠居名とみてもよい。
しかし、のちに、桂文楽になった後に桂文治を襲名する例があらわれた。
※人形浄瑠璃とは全く無関係。
以上の出来事は、人形浄瑠璃が文楽と呼ばれる由縁の「文楽座」開場より先行している。
代数=
この項目を読む際、以下の要項を頭に入れておく必要がある。
五代目(七代目?、後述) ……
桂文楽が亡くなってから、52年と345日が経過しました。(19338日)