小松寅吉(こまつとらきち)
石工[日本]
1915年 2月22日 死去享年72歳
小松 寅吉(こまつ とらきち、弘化元年(1844年) - 大正4年(1915年)2月22日)は、明治時代、福島県内で活躍した石像彫刻家。
高遠藩を脱藩して福島に住み着いた石工・小松理兵衛に弟子入りし、理兵衛の長男の養子として小松家に入籍、小松 布孝(こまつ のぶたか)を襲名した。
技巧を凝らした石彫刻作品を多数残し「奇巧の石工」などとも呼ばれる。
一番弟子の小林和平とともに、特に、狛犬(獅子像)彫刻を芸術にまで高めた名工として知られている。
生涯=
出生、襲名=
小松寅吉は、弘化元年(1844年)、陸奥国石川郡山形村(現福島県石川郡石川町)に、高原武極の長男として生まれた。
当時、近隣の福貴作(ふきざく)集落には、高遠藩から脱藩して密かに石工をしていた小松利平(理兵衛布弘とも。
文化元年(1804年)11月-明治21年(1888年)8月1日)が工房を構えており、寅吉は利平のもとに弟子入りした。
めきめきと頭角を現し、利平に認められた寅吉は、慶応2年(1866年)、21歳のとき、利平の実子・彦蔵の養子という形で小松家に入籍した。
その後、利平は寅吉を跡継ぎにすることに決め、先代の名前「布孝(のぶたか)」を授けた。
福島県西白河郡中島村川原田にある川田神社には、寅吉が布孝を襲名した後の襲名披露ともいえる獅子像を自ら奉納している。
その台座には、「浅川町福貴作 石工小松布孝作之」と大きく刻まれており、寅吉が小松家にとって大切な名前「布孝」を襲 ……
小松寅吉が亡くなってから、109年と273日が経過しました。(40085日)