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小林和平(こばやしわへい)

石工[日本]

1966年 3月8日 死去享年86歳

小林和平 - ウィキペディアより引用

小林 和平(こばやし わへい、明治14年(1881年)7月13日 - 昭和41年(1966年)3月8日)は、日本の石工。
昭和初期から戦後にかけて福島県内で活躍した。
師匠である小松寅吉の技術を受け継ぎ、狛犬(獅子像)彫刻を芸術として開花させた名工として知られている。
経歴= 出生、弟子入り= 1881年(明治14年)7月13日、福島県石川郡石川町沢井に、小林悟三郎・クラの次男として生まれた。
次男だったため、十代前半で、近隣である浅川町福貴作で石工をしていた小松寅吉に弟子入り。
寅吉の厳しい指導の下、石工としての技術を身につけていった。
子の死去= 石工修業の年季が明けぬ二十代前半で、和平は年上の小林ナカ(東白川郡社川村大字一色小林多三郎の二女)と恋仲になり、1905年(明治38年)には長男重利が生まれた。
しかし、独立していない和平は結婚を許されず、やむなく「未婚の父」となった。
1907年(明治40年)7月19日、長男重利が2歳で死去。
翌1908年(明治41年)、ようやくナカを妻として迎えることが許された。
1909年(明治42年)、年季明けして独立。
このとき和平は27歳、師匠の寅吉は65歳だった。
時を同じくして次男正が誕生するが、生後すぐに死去。
和平は相次いで息子を赤ん坊のうちに失った。
1912年(明治45年)、長女登美子誕生。
このとき和平は30歳。
しかし、その長女も、1927年(昭和2年)4月22日、石川高等女学校在学中に死去。
和平は先立たれた二人の ……

小林和平が亡くなってから、59年と70日が経過しました。(21620日)

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