柳原白蓮(やなぎわらびゃくれん)
短歌歌人[日本]
1967年 2月22日 死去享年83歳
柳原 白蓮(やなぎわら びゃくれん、1885年〈明治18年〉10月15日 - 1967年〈昭和42年〉2月22日)は、大正から昭和時代にかけての歌人。
本名は宮崎燁子(みやざきあきこ)、旧姓:柳原(やなぎわら)、北小路(きたこうじ)、伊藤(いとう)。
大正三美人の一人。
白蓮事件で知られる。
父は柳原前光伯爵。
大正天皇の生母である柳原愛子の姪で、大正天皇の従妹にあたる。
生涯=
※年齢表記は満年齢で記す。
生い立ち=
東京に生まれた。
父・前光が華やかな鹿鳴館で誕生の知らせを聞いたことから「燁子」と名付けられる。
母のりょうは没落した新見正興の娘で、前光の妾のひとりで柳橋の芸妓であった。
燁子は生後7日目に柳原家に引き取られ、前光の正妻・初子の次女として入籍される。
前光の本邸には側室の「梅」(元は柳原愛子の侍女)がおり、子のない梅は燁子の引き取りを願っていたが、正妻の初子がそれを阻止すべく燁子を自分の手元に引き取ったという。
生母・りょうは1888年(明治21年)、燁子3歳の時に病死している。
初子を母と定められて間もなく、当時の華族の慣習として品川の種物問屋を営む家に里子に出され、乳母の増山くにと里親家族の愛情の元、下町の自然豊かな環境で育てられる。
学齢となった6歳の時に柳原家に戻り、初子に華族の娘としてしつけられる。
1892年(明治25年)、麻布南山小学校に入学する。
1894年(明治27年)、9歳で遠縁にあたる子爵・ ……
柳原白蓮が亡くなってから、57年と273日が経過しました。(21092日)