井上弘昭 氏(いのうえひろあき)
元プロ野球選手、評論家[日本]
2025年 12月8日 死去出血性ショック享年82歳
井上 弘昭(いのうえ ひろあき、1944年5月21日 - 2025年12月8日)は、大阪府大阪市西淀川区出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。
引退後は中日スポーツ野球評論家を務めた。
経歴=
北陽高校から電電近畿に進む。
1965年の第36回都市対抗野球大会では、八幡製鉄との準決勝で3点本塁打を放つなど活躍。
決勝では小弓場保(日本生命から補強)の好投もあって住友金属に完封勝利、初優勝を飾った。
この時のチームメートに浜口春好がいた。
直後の全日本チーム中南米遠征に小弓場、浜口とともに参加。
その後も都市対抗野球に連続出場を続け活躍する。
1966年にはアマチュア野球世界選手権日本代表に選出され日本の優勝に貢献、また社会人ベストナイン(外野手)に選出された。
1967年のドラフト1位で広島東洋カープに入団。
即戦力として期待されるも1年目の1968年は8試合の先発出場にとどまる。
翌1969年には一軍に定着し、8月から主に左翼手、一番打者として起用される。
1970年には水谷実雄が左翼手として起用された事により三塁手に回り、99試合に先発出場を果たす。
しかし1972年には打撃不振もあってレギュラーの座を外れ、出場機会も減少。
1973年に川畑和人との交換トレードで、中日ドラゴンズに移籍。
中日では持ち前の勝負強い打撃でレギュラーに定着する。
1974年には左翼手としてクリーンアップを打ち活躍、初めて規定打席(11位、打率.290)に到達しリーグ優勝に貢献 ……
井上弘昭さんが亡くなってから、2日が経ちました。