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岩本義行 氏(いわもとよしゆき)

プロ野球選手、監督[日本]

2008年 9月26日 死去急性心不全享年97歳

岩本義行 - ウィキペディアより引用

岩本 義行(いわもと よしゆき、1912年3月11日 - 2008年9月26日)は、広島県三次市出身のプロ野球選手(外野手)・監督。
「元祖神主打法」「初代トリプルスリー」。
弟はプロ野球南海の投手・審判を務めた岩本信一。
5人いる孫の1人に女優の遠野舞子がいる。
経歴= 中等学校時代= 旧制三次中学(現:三次高校)から、「その才能を伸ばしてあげたい」という校長の計らいで、二年時に旧制広陵中学(現:広陵高校)に転校。
広陵野球部のスラッガーとして活躍し「山陽ベーブ」と異名を執り、敬遠のワンバウンドした球を本塁打にしたなどの逸話を残す。
四国松山での強豪松山商業との練習試合は、四方を山に囲まれた道後球場で対戦。
プレーを巡って乱闘試合になり、両チームの監督が揉み合うドサクサに紛れ、ベンチでカッカと燃えた岩本は、補欠なのに自分で代打を告げて山に猛打弾を叩きつけた。
松山の古老は長くこの逸話を朝風呂でしていたといわれる。
最上級生となった1931年に第17回全国中等学校優勝野球大会に出場。
「中学超弩級打者」と評されたが、準々決勝で吉田正男を擁する中京商業(現:中京大中京高校)に惜敗(中京商業はこの年から夏三連覇)。
しかし同年秋の神宮野球大会では吉田を打ち込み、更に前年から夏春連覇中で、この年の夏はハワイ遠征で欠場した灰山元治、鶴岡一人らのいた同じ広島の広島商業を決勝で岩本の長打2本で下す。
大学・社会人時代= 1934 ……

岩本義行さんが亡くなってから、16年と56日が経ちました。(5900日)

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