水原茂 氏(みずはらしげる)
元プロ野球選手、監督[日本]
1982年 3月26日 死去肝不全享年74歳
水原 茂(みずはら しげる、1909年〈明治42年〉1月19日 - 1982年〈昭和57年〉3月26日)は、香川県高松市出身のプロ野球選手(内野手)・監督、解説者・評論家。
1955年から1959年の登録名は「水原 円裕(みずはら のぶしげ)」。
概要=
現役時代は東京巨人軍(1947年より読売ジャイアンツ、以下巨人)で活躍し、引退後は巨人、東映フライヤーズ、中日ドラゴンズの監督を歴任した。
巨人監督時代の在任11年間で8度のリーグ優勝、4度の日本一に輝き、セ・パ両リーグでチームを日本一に導いた(セ - 巨人、パ - 東映)。
経歴=
幼少時に両親が離婚、父親が入り婿になり再婚した先の「水原」姓になったという。
野球を始めたのも、実家の環境からの気晴らしであったという。
現役時代=
香川・旧制高松商業学校(現香川県立高松商業高等学校)時代は、先輩・宮武三郎(のちの阪急初代主将)とともに甲子園に出場。
投手・三塁手として名をはせる。
甲子園では1925年夏と1927年夏の2回、全国優勝を達成した。
水原と宮武はともに慶應義塾大学に進み、チームメートとして、また、先輩・後輩の関係が続いた。
慶應時代は六大学野球のスター選手(三塁手、投手)として人気を博し、春秋通算で5度のリーグ優勝。
しかし、「リンゴ事件」の他、麻雀賭博で検挙され、野球部を除名された。
打者としてリーグ通算63試合出場、193打数48安打、打率.249、0本塁打、24打点。
投手として通算30試合登板、13勝8 ……
水原茂が亡くなってから、42年と240日が経過しました。(15581日)