尾崎行雄(おざきゆきお)
政治家[日本]
1954年 10月6日 死去享年97歳
尾崎 行雄(おざき ゆきお、1858年12月24日〈安政5年11月20日〉- 1954年〈昭和29年〉10月6日)は、日本の政治家、教育者。
号は咢堂(がくどう。
最初は学堂、愕堂を経て咢堂)。
日本の議会政治の黎明期から第二次世界大戦後に至るまで衆議院議員を務め、当選回数・議員勤続年数・最高齢議員記録と複数の日本記録を有し、「憲政の神様」「議会政治の父」と呼ばれる。
政友会時代を除き、政権与党に属したことはなかった。
東京市長時代の1912年(明治45年)にアメリカ・ワシントンD.C.のポトマック河畔に桜(ソメイヨシノ)の苗木を寄贈したことでも知られ、返礼として日本に初めてハナミズキをもたらした。
聖公会信徒。
正三位勲一等(1946年5月4日付返上)。
称号は衆議院名誉議員、東京都名誉都民。
伊勢神宮内宮前の饗土橋姫神社左隣の参道の奥に鎮座する合格神社の祭神。
世界連邦建設同盟(現・世界連邦運動協会)初代会長。
略歴=
生い立ち=
安政5年11月20日(1858年12月24日)、相模国津久井郡又野村(現・神奈川県相模原市緑区又野)生まれ。
幼名は彦太郎。
行雄の父・尾崎行正の生家は漢方医を業とし、漢学者・藤森弘庵の私塾に桂小五郎(木戸孝允)の先輩として学んだ。
尾崎家の先祖は今川義元の家来で、武田信玄に攻め立てられて没落した。
尾崎家は天正18年(1590年)に後北条氏が滅びてから又野に移り、累世相続いて里長となる。
掃部頭行永以前の尾崎家先祖が ……
尾崎行雄が亡くなってから、70年と46日が経過しました。(25614日)