桂太郎(かつらたろう)
政治家、内閣総理大臣、陸軍大将、公爵[日本]
1913年 10月10日 死去胃がん享年66歳
桂 太郎(かつら たろう、1848年1月4日〈弘化4年11月28日〉- 1913年〈大正2年〉10月10日)は、日本の陸軍軍人、政治家。
内閣総理大臣(第11代、13代、15代:第1次桂内閣、第2次桂内閣、第3次桂内閣)、台湾総督(第2代)、陸軍大臣(第5代)、内務大臣(第18代)、文部大臣(第23代)、大蔵大臣(第13代)、貴族院議員、内大臣、外務大臣(第17代)などを歴任。
日露戦争時の内閣総理大臣で、西園寺公望と交互に総理職を務めた期間は「桂園時代」と呼ばれた。
軍人としての階級は陸軍大将で、栄典は、従一位大勲位功三級公爵。
「元老の一人であった」という説もある。
元老の井上馨とは義理の親子の関係であり、児玉源太郎、川上操六とともに「明治陸軍の三羽烏」と称された。
「ニコポン宰相」の異名を持つ。
通算首相在職日数は、2,886日(2023年4月現在、安倍晋三に次ぐ歴代2位)。
第3次内閣は第一次護憲運動を受けて退陣し、同年に病没した。
概説=
長州藩士。
幼名は寿熊(ながくま)、左中(さちゅう)。
号は海城(かいじょう)。
諱は清澄(きよずみ)。
毛利家の庶流で重臣であった桂家の出身で、大江広元や桂元澄などの子孫にあたる。
戊辰戦争に参加し、明治維新後、横浜語学学校で修学し帝政ドイツへ留学。
帰国後は山縣有朋の下で軍制を修学した後に陸軍次官、第3師団長、台湾総督を歴任した後、第3次伊藤内閣、第1次大隈内閣、第2次山縣内閣、第4次伊藤内閣で陸軍 ……
桂太郎が亡くなってから、111年と42日が経過しました。(40585日)