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徳川家達(とくがわいえさと)

徳川宗家16代当主、貴族院議長、公爵[日本]

(ワシントン軍縮会議首席全権)

1940年 6月5日 死去享年78歳

徳川家達 - ウィキペディアより引用

徳川 家達(とくがわ いえさと、旧字体:德川 家達󠄁、1863年8月24日〈文久3年7月11日〉 - 1940年〈昭和15年〉6月5日)は、日本の政治家、名望家。
位階・勲等・爵位は従一位大勲位公爵。
幼名は亀之助。
号は静岳。
世間からは「十六代様」と呼ばれた。
1865年(元治2年)に御三卿の田安徳川家第7代当主、徳川慶喜謹慎後の1868年(慶応4年)に徳川宗家第16代当主となり、明治初期に静岡藩主(知藩事)を務める。
廃藩置県後に貴族院議員となり、1903年(明治36年)から1933年(昭和8年)までの30年にわたって第4代から第8代までの貴族院議長を務めた。
またワシントン軍縮会議全権大使、1940年東京オリンピック組織委員会委員長、第6代日本赤十字社社長、華族会館館長、学習院評議会議長、日米協会会長、恩賜財団紀元二千六百年奉祝会会長なども歴任。
大正期には組閣の大命も受けた(拝辞)。
生涯[編集] 誕生と出自[編集] 1863年(文久3年)7月11日、江戸城田安屋敷において、田安家第5代当主・徳川慶頼の三男として誕生した。
幼名は亀之助。
慶頼は第14代将軍・徳川家茂の将軍後見職であり、幕府の要職にあった。
母は高井武子。
家達は家茂および第13代将軍・徳川家定の再従兄弟にあたる。
1865年(元治2年)2月5日、実兄・寿千代の夭逝により田安家を相続する。
1866年(慶応2年)に将軍・家茂が後嗣なく死去した際、家茂の近臣および大奥の天璋院や御年寄・瀧山らは家茂の遺言通 ……

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徳川家達が亡くなってから、84年と52日が経過しました。(30733日)