南部重信(なんぶしげのぶ)
陸奥盛岡藩主[日本]
(元禄15年6月18日没)
1702年 7月12日 死去享年87歳
南部 重信(なんぶ しげのぶ)は、江戸時代前期から中期にかけての大名で、陸奥盛岡藩の第3代藩主。
南部氏の第29代当主。
父は南部利直。
母は閉伊氏の一族、花輪政朝の娘・松。
地元の人々からは親しみを持って「花輪殿様」と呼ばれている。
生涯=
元和2年(1616年)5月15日、初代盛岡藩主・南部利直の5男として閉伊郡花輪村で生まれる。
利直が盛岡の外港として宮古の町を開くために滞在した際、その身辺の世話を務めたのが地頭である閉伊花輪氏の娘・松であった。
幼少期を閉伊氏の菩提寺である華厳院で過ごし、百姓の子とも分け隔てなく遊んだとされる。
慶安元年(1648年)に七戸家を継ぎ、七戸城主の座に留まっていた。
しかし、寛文4年(1664年)12月6日、兄・重直が子を残さず死去すると、盛岡藩8万石を(八戸2万石を弟の直房が継いだため)分割相続する。
同年12月15日、将軍徳川家綱に御目見する。
同年12月28日、従五位下・大膳大夫に叙任する。
天和3年(1683年)5月7日、従四位下に昇進する。
また、10万石に高直しされる。
従四位下への昇進については、天和2年5月8日の徳川家綱の三回忌に際し、従五位下のために雨のなかで傘もさせず、「飛かねて上野の池の五月雨にみの毛もうすき五位の濡鷺」と歌を詠み、これを将軍徳川綱吉が聞いたためというエピソードがある(『南部史要』)。
元禄5年(1692年)6月27日、家督を長男・行信に譲って隠居する。
元禄15年(1702 ……
南部重信が亡くなってから、322年と130日が経過しました。(117741日)