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南部重直(なんぶしげなお)

陸奥盛岡藩主[日本]

(寛文4年9月12日没)

1664年 10月30日 死去享年59歳

南部重直 - ウィキペディアより引用

南部 重直(なんぶ しげなお)は、江戸時代前期の大名。
陸奥国盛岡藩の第2代藩主。
官位は従五位下・山城守。
南部氏28代(盛岡南部家3代)当主。
生涯= 慶長11年(1606年)3月9日、初代藩主・南部利直の3男として江戸桜田屋敷にて誕生。
寛永9年(1632年)、父の死去により家督を継ぐ。
藩政においては祖父・南部信直の時代に着工した盛岡城の築城工事を完成させるなど、盛岡藩の基盤固めに専念した。
苛烈な性格であったという。
実子はなく、さらに幕閣に列し譜代大名になろうとしたともいう。
そのために堀田正盛の子を養子として勝直と名乗らせ養った(勝直は養子縁組後すぐに18歳で早世する)。
寛永12年(1636年)4月、参勤交代に10日遅参した。
徳川家光の勘気を受け、翌年まで南部藩江戸屋敷にて蟄居処分を受ける。
前年から武家諸法度に基づき開始された初の参勤交代での出来事であった。
寛文4年(1664年)9月12日、江戸で死去した。
享年59。
重直は4代将軍・徳川家綱に後継者の選定と南部家の存続を事前に願い、重直の死後、家綱は裁定して重直の弟・七戸重信に2万石減封して盛岡8万石を与えて家を継がせ、同じく弟の中里直好に新規に八戸2万石を与えて別家を興させ、事実上の分割相続を行った。
初め花輪重政と称した七戸重信は南部重信、中里直好は南部直房と名を改めた。
ブレスケンス号事件= 寛永20年(1643年)7月末、オランダ船ブレスケンス号の乗組員 ……

南部重直が亡くなってから、360年と19日が経過しました。(131509日)