徳川家光(とくがわいえみつ)
第3代江戸幕府将軍[日本]
(慶安4年4月20日没)
1651年 6月8日 死去享年48歳
徳川 家光(とくがわ いえみつ)は江戸幕府の第3代将軍(在職:1623年 - 1651年)である。
乳兄弟に稲葉正勝・稲葉正吉・稲葉正利がいる。
15人の徳川将軍のうち、(父親の)正室の子は、家康・家光・慶喜の3人のみであり、さらに将軍の御内室(御台所)が生んだ将軍は、家光のみである。
生涯=
誕生から将軍就任まで=
慶長9年(1604年)7月17日、徳川秀忠の次男として江戸城西の丸に生まれる。
母は太閤豊臣秀吉の養女・達子(浅井長政の三女)。
徳川家の世継であった父・秀忠には慶長6年(1601年)に誕生した長男・長丸がいたが、既に早世していた為、世子として扱われ、祖父・家康と同じ幼名竹千代を与えられた。
誕生に伴い、明智光秀家臣・斎藤利三の娘である福(小早川家家臣稲葉正成室、後の春日局)が乳母となり、稲葉正勝・松平信綱・岡部永綱・水野光綱・永井直貞らの小姓が付けられる。
慶長10年(1605年)、家康は秀忠に将軍職を譲位して大御所となる。
幼少時の家光は病弱で吃音があり、容姿も美麗とは言えなかったと言われる。
慶長11年(1606年)に弟・国松(後の忠長)が誕生する。
竹千代と国松の間には世継ぎ争いがあったとも言われ、『武野燭談』に拠れば、秀忠らは忠長を寵愛しており、竹千代廃嫡の危機を感じた福は駿府の家康に実情を訴え、憂慮した祖父・家康が長幼の序を明確にし、竹千代の世継決定が確定したと言われる。
これらは家光死後に成立した巷説で ……
徳川家光が亡くなってから、373年と164日が経過しました。(136402日)