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山岡荘八(やまおかそうはち)

作家[日本]

1978年 9月30日 死去享年72歳

山岡荘八 - ウィキペディアより引用

山岡 荘八(やまおか そうはち、1907年(明治40年)1月11日 - 1978年(昭和53年)9月30日)は、日本の小説家。
位階は従四位。
歴史小説を中心に活躍。
本名は藤野庄蔵(ふじの しょうぞう)。
『徳川家康』により第2回吉川英治文学賞を受賞。
日本を守る会の代表委員を務めた。
自由党元衆議院議員の山岡賢次は養子。
立憲民主党衆議院議員の山岡達丸は孫。
来歴= 経済展望社『経済展望』第30巻第11月号(1958年)より 『徳川家康』連載再開の意気込みを語る山岡荘八(1963年) 右から山内一史(山岡の長男)、山岡荘八、山岡道枝(山岡の妻)、山内幹雄(一史の子)、山内政枝(一史の妻)、山内稚子(山岡の長女)。
1964年頃に撮影。
生い立ち= 新潟県北魚沼郡小出町大字佐梨(現:魚沼市佐梨)の山内家に生まれる。
1918年、川で泳いでいて前額部を強打、瀕死の重傷を負い後々までこぶとして残る。
1920年、高等小学校を中退して上京、博文館印刷所で文選工として働きつつ逓信省の研究所に学ぶ。
1924年より印刷・製本業を始める。
1932年、萬里閣に入社。
雑誌『ギャング』の編集にあたる。
『変態銀座デカメロン』を連載。
1933年2月、萬里閣発行の『大衆倶楽部』の編集責任者だった藤野秀子と結婚。
山岡にとっては後妻であった。
秀子は石川県能美郡安宅町(現・小松市)の出身で、一人娘だったため、山岡は藤野家の養子になった。
秀子の筆名は山岡道枝としてい ……

山岡荘八が亡くなってから、46年と52日が経過しました。(16854日)