安岡正篤 氏(やすおかまさひろ)
陽明学者[日本]
1983年 12月13日 死去享年86歳
安岡 正篤(やすおか まさひろ、1898年〈明治31年〉2月13日 - 1983年〈昭和58年〉12月13日)は、日本の易学者、哲学者、思想家。
私塾「金鶏学院」の設立。
右翼政治団体「国維会」や学術団体「師友協会」の創立など、日本の伝統的な哲学・思想の「日本主義」の立場から保守派の長老として戦前から戦後に亘って活躍した。
吉田茂(元内閣総理大臣)などの大物政治家とも深い交流があった。
経歴=
生い立ち=
養曽祖父の安岡良亮
1898年(明治31年)に現在の大阪府大阪市中央区長堀(旧順慶町)において、素封家の父・堀田喜と母・悦子の四男として誕生。
堀田家は尾張の出身で紀氏の流れである。
実兄に高野山金剛峯寺第403世座主の堀田真快がいる。
1904年(明治37年)に大阪市芝尋常小学校入学。
四書のうち『大学』から素読を始める。
1910年(明治43年)に孔舎衙小学校を卒業。
旧制四條畷中学校入学。
1916年(大正5年)に卒業するまでの5年間(脚気にて休学期間あり)、歩きながら書を読んで電柱にぶつかったり、牛に突き当たったりしたという伝説が生まれる。
中学校では剣道部に所属。
また、春日神社の神官の浅見晏斎に見出され、漢詩に親しみ、更に柳生藩大参事であった陽明学者の岡村閑翁(藤川冬斎の次男)より感化を受ける。
四條畷中学卒業後、高知県貫属士族で東京在住の安岡盛治の婿養子となる。
盛治は、戊辰戦争の際、近藤勇を捕縛し斬首した功名で知られる土佐 ……
安岡正篤が亡くなってから、40年と344日が経過しました。(14954日)