山本達郎 氏(やまもとたつろう)
歴史学者・東洋史[日本]
(元号「平成」の名付け親)
2001年 1月24日 死去享年92歳
山本 達郎(やまもと たつろう、1910年(明治43年)6月16日 - 2001年(平成13年)1月24日)は、日本の東洋史学者。
東京大学名誉教授。
日本学士院会員。
文化勲章受賞。
元号『平成』の名付け親である。
妻は原邦造の次女・澄子(壽美子)。
生涯=
東京生まれ。
父は貴族院議員・参議院議員の松村真一郎。
日本銀行総裁などを歴任した祖父の山本達雄男爵の養子に入る。
幼少期は新しい幼児教育を謳ったベラ・アーウィンの玉成(ぎょくせい)幼稚園に通い、第2回卒園児となる。
1933年(昭和8年)に東京帝国大学を卒業後、東方文化学院研究員を務め、1934年(昭和9年)発表の論文「鄭和の西征」で注目される。
1942年(昭和17年)東京帝国大学助教授、1949年(昭和24年)に東京大学文学部東洋史学科教授(南方史講座)へ昇任。
1951年(昭和26年)東京大学より文学博士の学位を取得 。
1952年(昭和27年)には、『安南史研究』で日本学士院賞を受賞する。
1953年から東洋文庫の評議員・理事を歴任し、その間に同文庫の近代中国研究委員会(現:東洋文庫 近代中国研究班)を発足させる。
東京大学の学科主任を長く務め1971年(昭和46年)定年、退官後は国際基督教大学教授、
イェール大学客員教授、コーネル大学客員教授。
専攻は東南アジア史・インド史。
南方史研究会(現・東南アジア学会)を組織した。
2001年(平成13年)に心不全により死去。
蔵書は第二次世界大戦で消失した ……
山本達郎さんが亡くなってから、23年と301日が経ちました。(8702日)