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北条宗宣(ほうじょうむねのぶ)

武将、鎌倉幕府第11代執権[日本]

(正和元年6月12日没)

(ユリウス暦) 1312年 7月16日 死去享年54歳

北条宗宣 - ウィキペディアより引用

北条 宗宣(ほうじょう むねのぶ)は、鎌倉時代後期の北条氏の一門。
大仏 宗宣(おさらぎ むねのぶ)とも称される。
鎌倉幕府第11代執権(在職:応長元年10月3日(1311年11月13日) - 正和元年5月29日(1312年7月4日))。
生涯= 北条宣時(大仏宣時)の子。
大仏家の総領として、弟や子らと共に、幕府の要職を歴任した。
元服時に得宗家当主の北条時宗より一字を賜り、宗宣と名乗る。
弘安9年(1286年)に引付衆、永仁元年(1293年)に越訴頭人となり、さらに引付から改編された執奏の一員に選ばれる。
永仁3年(1295年)に執奏が廃止され引付が復活するとそこから外れるが、永仁4年(1296年)に四番引付頭人となり、さらに寄合衆ともなる。
永仁5年(1297年)から六波羅探題南方に就任し、乾元元年(1302年)まで在京。
嘉元3年(1305年)の嘉元の乱においては得宗の北条貞時(第9代執権(前執権)、時宗の子)の命令で北条宗方を討った。
同年7月22日、その戦功により連署となる。
応長元年(1311年)9月22日、執権であった北条師時の死去により、10月3日に連署から昇格して第11代執権に就任した。
しかし幕政の実権は内管領・長崎円喜や得宗外戚の安達時顕に握られ、政治をみることができなかった。
正和元年(1312年)5月29日、執権職を北条煕時に譲り出家した。
同年6月12日に死去。
享年54。
『新後撰和歌集』『玉葉和歌集』『続後千載和歌集』などに23首の歌が収録されている。
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