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北条貞時(ほうじょうさだとき)

武将、鎌倉幕府第9代執権[日本]

(応長元年10月26日没)

(ユリウス暦) 1311年 12月6日 死去享年40歳

北条貞時 - ウィキペディアより引用

北条 貞時(ほうじょう さだとき)は、鎌倉時代後期の北条氏一門の武将。
北条氏得宗家当主、鎌倉幕府第9代執権(在職:弘安7年(1284年) - 正安3年(1301年))。
第8代執権・北条時宗の嫡男。
母は安達義景の娘・堀内殿(覚山尼)。
生涯= 誕生と元服= 文永8年12月12日(1272年1月14日)、北条時宗の嫡男として鎌倉に生まれる。
幼名は幸寿丸。
建治3年(1277年)12月2日に元服して貞時と名乗った。
この様子は『建治三年記』の同日条に得宗家嫡男の元服の貴重な記録として残されている。
この時の烏帽子親は明確には示されていないが、「二棟の御所西の御格子に上らる。
西の御侍」の記述から、元服が行われた場所が二棟御所の西侍であり、「越州刻限を申さる。
その後出御か。
次いで賢息(=貞時)御簾中に参らる。
」という表現から当時の将軍・源惟康が立ち会ったことが窺えるため、これまでの得宗家当主と同様に将軍(源惟康)を烏帽子親として元服したものとみられている。
元服に際しては烏帽子親の偏諱(実名の1字)を受けることが多いが、「貞時」の名乗りを見て分かる通り、将軍の偏諱(源惟康の「惟」または「康」の1字)は受けなかったようである。
同時代(の上の立場)の者で「貞」の字を用いる人物はおらず、研究では祖先とされる平貞盛に肖ったものとする見解が示されている。
元々は細川重男がこの説(加えて貞時の息子・高時の「高」が高望王に由来す ……

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