北条時宗(ほうじょうときむね)
武将、鎌倉幕府第8代執権[日本]
(二度にわたる元寇を退ける、弘安7年4月4日没)
(ユリウス暦) 1284年 4月20日 死去享年34歳
![北条時宗 - ウィキペディアより引用](http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/3/30/H%C5%8Dj%C5%8D_Tokimune.jpg/200px-H%C5%8Dj%C5%8D_Tokimune.jpg)
北条 時宗(ほうじょう ときむね)は、鎌倉時代中期の鎌倉幕府第8代執権(在職:1268年 - 1284年)。
5代執権北条時頼の次男(嫡男)。
鎌倉幕府執権職を世襲する北条氏の嫡流得宗家に生まれ、世界帝国であったモンゴル帝国の圧力が高まるなかで執権に就任。
内政にあっては得宗権力の強化を図る一方、モンゴル帝国(大元朝)の2度にわたる侵攻(元寇)を退けた。
官位は、正五位下相模守。
贈従一位。