宗尊親王(むねたかしんのう)
皇族、鎌倉幕府第6代将軍[日本]
(文永11年8月1日没)
(ユリウス暦) 1274年 9月2日 死去享年33歳
宗尊親王(むねたかしんのう)は、鎌倉幕府6代将軍(在任:1252年 - 1266年)皇族で初めての征夷大将軍である。
後嵯峨天皇の第一皇子。
生涯=
5代将軍の藤原頼嗣が京に送還された後の建長4年(1252年)4月に11歳で鎌倉に迎えられ、異母弟の後深草天皇より征夷大将軍の宣下を受ける。
(宗尊親王への将軍宣下を記した宣旨を読むには右をクリック → )
征夷大将軍の辞令(宣旨)「吾妻鏡」
三品 宗尊親王
右被左大臣宣偁件親王宜爲征夷大將軍
建長四年四月一日 大外記中原朝臣師兼奉
(訓読文)
三品 宗尊親王
右、左大臣(鷹司兼平)の宣を被るに偁(い)はく、件(くだん)の親王、宜しく征夷大将軍に為すべし
建長4年4月1日 大外記中原朝臣師兼(押小路師兼)奉(うけたまは)る
親王は後嵯峨天皇の事実上の長子であり、父から寵愛されてその育ての親ともいえる承明門院の下で育てられ、寛元2年(1244年)には既に久仁親王(後の後深草天皇)が誕生していたにもかかわらず親王宣下を受け、同5年(1247年)には式乾門院の猶子とされる。
その翌年には式乾門院の姪である室町院とも猶子関係を結ぶ。
寛元7年(1249年)、式乾門院は後高倉院から継承した膨大な荘園群を姪の室町院に一期分として譲り、宗尊を未来領主に指定した。
式乾門院・室町院にはその所領を継承させる子孫がおらず、2人が死去した場合にはその荘園は全て宗尊のものになる予定とされた。
更に後嵯峨天 ……