フリードリヒ・シェリングFriedrich Wilhelm Joseph von Schelling
哲学者[ドイツ]
1854年 8月20日 死去享年80歳
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ヨーゼフ・フォン・シェリング(Friedrich Wilhelm Joseph von Schelling、1775年1月27日 - 1854年8月20日)は、ドイツの哲学者である。
フィヒテ、ヘーゲルなどとともにドイツ観念論を代表する哲学者のひとり。
生涯=
ヴュルテンベルク公国(現在のバーデン=ヴュルテンベルク州)レーオンベルクで誕生。
父はルター派の神学者・東洋学者・教育者であり、シュヴァーベン敬虔主義の支持者だった。
シェリングは家庭の知的また宗教的雰囲気に強く影響されて育ち、早熟な天才ぶりをみせる。
シュトゥットガルト近郊のニュルティンゲンのラテン語学校、さらにテュービンゲンの一区域であるベーベンハウゼンの学校で学んだシェリングは、10代前半でギリシア語・ラテン語・ヘブライ語に通じた。
1790年、テュービンゲン神学校(テュービンゲン大学の付属機関)に特例により15歳で入学を許された(規定では20歳から入学)。
同神学校には2年前、彼より5歳年上のヘーゲル、ヘルダーリンが入学しており、シェリングは寮で二人と同室になった。
彼らは、フランス革命に熱狂し、カントに代表される新しい時代の哲学に関心を示し、進歩と自由を渇望し、そして牧師にはならず、思想あるいは文学の道へ進んでいく。
そしてこの時期のシェリングが特に傾倒したのは、フィヒテであり、またスピノザであった。
卒業後、家庭教師をしながら『悪の起源について』(1792年)『神話につ ……
フリードリヒ・シェリングが亡くなってから、170年と92日が経過しました。(62185日)