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徳川家重(とくがわいえしげ)

第9代江戸幕府将軍[日本]

(宝暦11年6月12日没)

1761年 7月13日 死去享年51歳

徳川家重 - ウィキペディアより引用

徳川 家重(とくがわ いえしげ)は、江戸時代中期の江戸幕府の第9代将軍(在任:1745年 - 1760年)である。
生涯[編集] 将軍になるまで[編集] 正徳元年12月21日(1712年1月28日)、和歌山藩主(後に征夷大将軍)徳川吉宗の長男として江戸赤坂の和歌山藩邸で生まれる。
母は家臣・大久保忠直の娘・須磨子(深徳院)。
幼名は長福丸。
吉宗が将軍に就任すると同時に江戸城に入り、享保12年(1727年)に元服、それまでの将軍家の慣例に倣い、通字の「家」の字を取って家重と名乗る。
生来虚弱の上、障害により言語が不明瞭であったため、幼少から大奥に籠りがちで酒色にふけって健康を害した。
享保16年12月(1731年)、一品邦永親王の王女比宮(増子)と結婚した。
発話の難に加え、猿楽(能)を好んで文武を怠ったため、文武に長けた異母弟宗武(田安徳川家の祖)と比べて将軍の継嗣として不適格と見られることも多く、吉宗や幕閣を散々悩ませたとされる。
このため、一時は老中首座松平乗邑によって廃嫡および宗武の擁立をされかかったことがある。
吉宗は家重を選び、延享2年(1745年)に吉宗は隠居して大御所となり、家重は将軍職を譲られて第9代将軍に就任した。
しかし宝暦元年(1751年)に死去するまでは吉宗が大御所として実権を握り続けた。
病身の家重の将軍職継承については、才能云々で次男などに家督を渡すことが相続における長幼の順を乱すことになり、この規律を守らないと ……

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徳川家重が亡くなってから、263年と12日が経過しました。(96073日)