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南部利幹(なんぶとしもと)

陸奥盛岡藩主[日本]

(享保10年6月4日没)

1725年 7月13日 死去享年37歳

南部利幹 - ウィキペディアより引用

南部 利幹(なんぶ としもと)は、江戸時代中期の大名。
陸奥国盛岡藩の第6代藩主。
官位は従五位下・信濃守、大膳亮。
略歴= 元禄2年(1689年)、第4代藩主・南部行信の4男として誕生。
初め、父の命令により三戸氏を称した。
宝永3年(1706年)1月5日、兄で先代藩主の信恩が死去したため、末期養子として家督を継いだ。
同年1月15日、5代将軍・徳川綱吉に御目見する。
同年12月18日、従五位下・信濃守に叙任する。
宝永5年(1708年)、荒廃した白山神社の再興のため、本殿(県指定有形文化財)を勧請する。
領内の銅減産も重なって、盛岡藩では財政難が進行し、江戸の借財が10余万両にまで膨らみ、参勤交代費用にも窮する事態となった。
これにより、享保8年(1723年)には家老以下を更迭し、諸役人を減員する倹約政策を断行して一定の効果を得た。
しかし、他方では強引な政策に家臣の不満が高まった。
享保10年(1725年)に死去し、跡を養子の利視(兄・信恩の次男)が継いだ。
また、次男の南部信起は家格寄合席の旗本となった。
系譜= 父:南部行信(1642-1702) 母:心光院 - 岩間政次の娘 養父:南部信恩(1678-1707) 正室:春姫 - 蜂須賀隆長の養女、蜂須賀隆重の七女 側室:貞林院 - 橋本氏 長男:南部利雄(1724-1780) 側室:信是院 - 川井影寛の娘 次男:南部信起 - 彦九郎、娘に観光院(南部利正正室)、南部信喜室(南部信鄰生母) 養子 男子:南部利視(1708-1752) - 南部信恩の ……

南部利幹が亡くなってから、299年と129日が経過しました。(109339日)