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南部信恩(なんぶのぶおき)

陸奥盛岡藩主[日本]

(宝永4年12月8日没)

1707年 12月31日 死去享年30歳

南部信恩 - ウィキペディアより引用

南部 信恩(なんぶ のぶおき)は、江戸時代中期の大名。
陸奥国盛岡藩の第5代藩主。
官位は従五位下・備後守。
経歴[編集] 延宝6年(1678年)9月22日、第4代藩主・南部行信の3男として江戸麻生屋敷にて誕生した。
元禄14年(1701年)5月1日、行信の嫡子になった。
前年に兄・実信が亡くなったためである。
同年5月15日、5代将軍・徳川綱吉に御目見する。
同年7月25日、毛利綱元の娘と結婚する。
同年12月18日、従五位下・備後守に叙任する。
元禄15年(1702年)11月27日、行信が死去したため家督を継ぐ。
元禄16年(1703年)4月15日、初めてお国入りするための暇を得る。
同年、儒教に傾斜した父により重用され、藩主廃立にまで介入する儒臣を先代の遺命として断罪し、儒学傾斜策の弊害を改める。
しかし、同年内に領内に凶作、江戸で元禄地震が起こる。
大地震により江戸藩邸が全て全壊し、藩財政に打撃が与えられた。
信恩は宝永4年(1707年)12月8日に30歳で死去した。
異母弟の利幹が養子となり家督相続した。
信恩死後に実子の利視が生まれ、利幹の養嗣子となった。
系譜[編集] 父:南部行信(1642年 - 1702年) 母:慈恩院 - 岩井与市郎の娘 正室:真寿院 - 毛利綱元の娘、先夫は森長成 側室・浄智院 - 黒沢氏 次男:南部利視(1708年 - 1752年) 側室:齢広院 - 新渡戸氏 女子:永井直期正室 養子 男子:南部利幹(1689年 - 1725年) - 南部行信の四男 表話編歴盛岡藩5代藩主 南部利直1599-1632 ……

南部信恩が亡くなってから、316年と207日が経過しました。(115626日)