松本清張 氏(まつもとせいちょう)
作家[日本]
1992年 8月4日 死去肝臓がん享年84歳
12月21日という日付は、出生届が受理された戸籍上の誕生日の可能性が高く、広島から小倉に移った両親が、まだ出生届を出していなかったことに気づき、あるいは他人から指摘されて提出した日か、その際、届け出の遅れを吏員に叱責されるのを恐れ、届け出日の数日前の日付を記入した、などの事情が考えられる[出典 14]。
清張は実際には1909年2月12日に広島市で生まれ、2枚目の写真が撮られた同年6月27日までは少なくとも広島に居住しており、出生届を出したとされる同年12月21日頃までの間に一家は広島を出て、小倉で同年12月21日頃に出生届を提出、その後に祖父母のいる山口県下関市に移住した、と考えられる[出典 15]。
清張は『半生の記』で「広島から峯太郎とタニとが九州小倉に移った事情はよく分からない。
(中略)それで、炭鉱景気で繁昌している北九州の噂を聞いて、ふらふらと関門海峡を渡ったのではないかと想像する。
明治四十二年十二月二十一日に私が生まれている」と書いている。
経歴=
幼年期=
清張は自身の過去についてはあまり話さなかったともいわれ[出典 16]、出生から作家として世に出るまでの記述は主として『半生の記』を基に作成されている[31]。
1910年、下関市壇ノ浦に転居。
家の裏は渦潮巻く海で、家の半分は石垣からはみ出し、海に打った杭の上に載っていた。
両親は、ここで通行人相手の餅屋を始める。
だが3年後に、線路建設のためダ ……
松本清張さんが亡くなってから、32年と122日が経ちました。(11810日)