木村毅(きむらき)
作家[日本]
1979年 9月18日 死去享年86歳
木村 毅(きむら き、1894年2月12日 - 1979年9月18日)は、日本の文学評論家、明治文化史の研究家、小説家。
経歴=
岡山県勝南郡勝間田村(現勝田郡勝央町)に生まれる。
少年時代から文士を志し、『少年世界』『文章世界』に投稿する。
高等小学校卒業後の3年間独学、その後早稲田大学英文科に入学。
同じクラスには植村宗一(直木三十五)、宮島新三郎、田中純、西条八十、青野季吉、細田源吉、細田民樹らがいた。
1917年卒業。
隆文館、次いで早稲田で同級だった直木三十五らの設立した春秋社に入社し、トルストイ全集の編集を手がけ、植村退社後も宮崎安右衛門『乞食桃水』、西田天香『懺悔の生活』などのベストセラーを企画した。
1921年に、『都新聞』に連載されその後私家版で書き継がれていた中里介山『大菩薩峠』を知り、出版を社長に提案し、宮崎安右衛門の紹介で介山と交渉して刊行したところ、大評判となった。
関東大震災を機に春秋社をやめて評論、翻訳活動を行う。
『小説研究十六講』(1924年)は好評となり、川端康成に影響を与え、松本清張はこれを読んで小説家志望の念を固めた。
また改造社の社長山本実彦の依頼で『現代日本文学全集』(1926年)を編集し、その後ブームとなる円本の嚆矢となった。
明治文化研究会同人となり、のち第3代会長も務める。
1928年ヨーロッパへ渡り、デュマの遺跡探訪や、改造社の依頼でコナン・ドイルの翻訳権交渉なども行った。
木村毅が亡くなってから、45年と65日が経過しました。(16501日)