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青野季吉(あおのすえきち)

文芸評論家[日本]

1961年 6月23日 死去胃がん享年72歳

青野季吉 - ウィキペディアより引用

青野 季吉(あおの すえきち、1890年(明治23年)2月24日 - 1961年(昭和36年)6月23日)は、日本の文芸評論家。
生涯= 文化人や芸術家によって結成された「安保批判の会」の安保反対のデモ。
旗の前にいる人物は左から深尾須磨子、青野季吉、野上弥生子、朝倉摂。
その後ろに写っているのは壺井重治、岸輝子、佐多稲子、三宅艶子ら。
新潟県佐渡島出身。
早稲田大学英文科卒業後、読売新聞記者となるが争議を指導したことにより解雇され、その後は新聞社を転々とした。
1919年(大正8年)、日本で最初にロープシンの『蒼ざめた馬』の翻訳を発表したのを機に、プロレタリア文学評論家として文筆活動を始め、1922年(大正11年)に「階級闘争と芸術運動」を発表。
『種蒔く人』の同人として活動。
「『調べた』芸術」(『文芸戦線』1925年7月)、「自然生長と目的意識」(『文芸戦線』1926年9月)、「目的意識論」などで、1920年代前半のプロレタリア文学運動の指導的な立場に立った。
評論活動のかたわら、(第一次)日本共産党員として実践活動をおこない、第一次共産党解散後、残務処理のための「ビューロー」で活動し、1924年(大正13年)には党の再建のため、徳田球一とともに上海に渡ったこともある。
帰国後は実践活動から退き、『文藝戦線』における文筆活動に専念した。
1926年(大正15年)に最初の評論集『解放の芸術』を出版し、以後プロレタリア文学評論家として活動したが、192 ……

青野季吉が亡くなってから、63年と151日が経過しました。(23162日)