野上弥生子 氏(のがみやえこ)
作家[日本]
1985年 3月30日 死去老衰享年101歳
野上 弥生子(のがみ やえこ、本名:野上 ヤヱ〈のがみ やゑ〉、旧姓:小手川、1885年〈明治18年〉5月6日 - 1985年〈昭和60年〉3月30日)は、日本の小説家。
大分県臼杵市生まれ。
夏目漱石の紹介で『縁』を発表して以来、写実主義に根差す作風と、理知的リアリズムとで市民的良識を描き続け、明治から昭和末期まで80年余の作家活動を行った。
日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。
略歴=
野上豊一郎と野上弥生子(1939年)
1952年
文化人や芸術家によって結成された「安保批判の会」の安保反対のデモ。
旗の前にいる人物は左から深尾須磨子、青野季吉、野上弥生子、朝倉摂。
その後ろに写っているのは壺井重治、岸輝子、佐多稲子、三宅艶子ら。
フンドーキン醤油の創業家に生まれた。
14歳の時に上京し、明治女学校に入学する。
1906年に夏目漱石門下の野上豊一郎と結婚した。
漱石と直接会うことは少なかったが主に書簡を通じて指導を受け、1907年、漱石の推薦によって『ホトトギス』に『縁』を発表し、作家デビューを果たした。
漱石から受けた「漫然として年をとるべからず文学者として年をとるべし」という言葉を「生涯の御守り」とし、99歳で死去するまで現役の作家として活躍した。
法政大学女子高等学校名誉校長も務め、「女性である前にまず人間であれ」の言を残した。
昭和初年のプロレタリア文学が流行した時代には、社会進歩のための活動の中にあった非人間的 ……
野上弥生子さんが亡くなってから、39年と236日が経ちました。(14481日)