黒岩涙香(くろいわるいこう)
作家[日本]
1920年 10月6日 死去享年59歳
黒岩 涙香(くろいわ るいこう、文久2年9月29日〈1862年11月20日〉- 大正9年〈1920年〉10月6日)は、日本の小説家、思想家、作家、翻訳家、ジャーナリスト。
本名は黒岩 周六(くろいわ しゅうろく)。
兄は黒岩四方之進。
ペンネームの由来は、黒岩が愛読していた『紅涙香』に由来する。
黒岩涙香のほか、香骨居士、涙香小史、冷眼士等などの筆名を用いた。
号は古概、民鉄、正調庵、黒岩大。
執拗な取材を行うことから「マムシの周六」というあだ名がつけられた。
翻訳家、作家、記者として活動し、『萬朝報』を創刊した。
戒名は黒岩院周六涙香忠天居士。
経歴=
土佐国安芸郡川北村大字前島(現在の高知県安芸市川北)で土佐藩郷士・黒岩市郎の子として生まれる。
藩校文武館で漢籍を学び、16歳で大阪に出て中之島専門学校(後の大阪英語学校)に学び英語力を身につける。
翌年、上京して成立学舎や慶應義塾に進学するも、いずれも卒業せず。
大阪時代から新聞への投書を始め、自由民権運動に携わり1882年には官吏侮辱罪により有罪の判決を受けた。
「同盟改進新聞」や大平三次の経営する「日本たいむす」に新聞記者として入社後、1882年に創刊された「絵入自由新聞」に入社。
2年後に主筆となり、語学力を生かして記者として活躍していくも、後に翻案小説に取り組むようになる。
「今日新聞」(後の「都新聞」)に連載した翻案小説『法廷の美人』がヒットして、たちまち ……
黒岩涙香が亡くなってから、104年と59日が経過しました。(38045日)