喜田華堂(きだかどう)
絵師[日本]
1879年 2月7日 死去享年78歳
喜田 華堂(きだ かどう、1802年(享和2年) - 1879年(明治12年)2月7日)は、江戸時代後期から明治時代初期の日本画家。
名古屋における岸派の祖。
名を景静。
字は伯寿。
号に竹石居、半舟翁など。
美濃国不破郡今須(現在の岐阜県関ケ原町)出身。
略歴=
若くして両親を亡くして上洛、岸駒、岸岱に師事し日本画を学ぶ。
嘉永元年(1848年)頃、広井水車町(名古屋市)で開業し評判となり、尾張藩に招かれて藩御用絵師となった。
代表作=
作品名
技法
形状・員数
寸法(縦x横cm)
所有者
年代
落款・印章
備考
妙應大姉縁起図絵
絹本著色
双幅
157.0x86.0(各)
妙應寺
1864年(文久4年3月)
富貴祝寿之図
1幅
149.5x71.3
一宮市博物館
1877年(明治10年)
一宮市博物館は華堂の作品を本作を含めて12点所蔵している。
喜田華堂が亡くなってから、145年と287日が経過しました。(53248日)