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リチャード・バーセルメスRichard Barthelmess

俳優[アメリカ]

1963年 8月17日 死去がん享年69歳

リチャード・バーセルメス - ウィキペディアより引用

リチャード・バーセルメス(Richard Barthelmess, 1895年5月9日 - 1963年8月17日)は、アメリカ合衆国の俳優。
主にサイレント期に活躍したスター。
映画芸術科学アカデミーを創立した36人の会員の1人であり、第1回アカデミー賞で主演男優賞にノミネートされた。
略歴= 1895年にニューヨーク市に生まれるが、すぐに父を亡くす。
母キャロリン・ハリスが舞台女優だったことから、自身も幼いときから劇場で働き、通行人役などで舞台に立つようになる。
その後、アマチュア劇団などの舞台にも立つ。
母の友人でロシア出身の女優アラ・ナジモヴァに勧められ、1916年に連続活劇『Gloria's Romance』にエキストラとして出演。
更に、同年の映画『War Brides』でナジモヴァの相手役を演じた。
これが巨匠D・W・グリフィスの目に留まり、『散り行く花』(1919年)と『東への道』(1920年)の2作で当時の大スター、リリアン・ギッシュの相手役を務める。
『熱血拳闘手』(1927年)と『獄中日記』(1928年)の2作で第1回アカデミー賞の主演男優賞にノミネートされる(受賞はならず)。
トーキーの時代に入ると、数年のうちは多くの映画に主演したものの、演技がトーキーに合わなかったために、1930年代中頃には半ば引退状態になる。
1939年に脇役として復帰した『コンドル』で印象的な演技を見せたものの、その後は数本の映画に出演するのみとなる。
1942年にアメリカ海軍予備兵として入隊し、海軍少佐として第二 ……

リチャード・バーセルメスが亡くなってから、61年と97日が経過しました。(22377日)

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