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後深草天皇(ごふかくさてんのう)

第89代天皇[日本]

(嘉元2年7月16日崩御)

(ユリウス暦) 1304年 8月17日 死去享年62歳

後深草天皇 - ウィキペディアより引用

後深草天皇(ごふかくさてんのう、1243年6月28日〈寛元元年6月10日〉)- 1304年8月17日〈嘉元2年7月16日〉)は、日本の第89代天皇(在位:1246年2月16日〈寛元4年1月29日〉- 1260年1月9日〈正元元年11月26日〉)。
諱は久仁(ひさひと)。
後嵯峨天皇の皇子。
母は中宮・西園寺姞子(大宮院)。
北朝(持明院統)かつ今日の皇室の祖。
父母が自身より弟の亀山天皇を寵愛し治天の君としたことに不満を抱き、やがて後深草系の北朝と亀山系の南朝(大覚寺統)による対立が生じる端緒となった。
『増鏡』などでは内裏焼亡のさいに足が立たなかったなどと書かれている。
略歴= 寛元元年(1243年)6月、外祖父・太政大臣西園寺実氏の今出川邸第にて誕生、生後2ヶ月で立太子。
同4年(1246年)正月、後嵯峨天皇の譲位により数え4歳(満年齢で2歳)で践祚・即位。
在位中は後嵯峨上皇が院政を敷き、直接政務を見ることはなかった。
正元元年(1259年)に瘧病を患い、同11月、後嵯峨上皇の要請で、17歳で亀山天皇に譲位。
文永5年(1268年)に、後嵯峨上皇の指示により、年長の後深草上皇の皇子熈仁親王を差し置いて亀山天皇の皇子世仁親王が立太子した。
ここから、後深草上皇の血統(持明院統)と亀山天皇の血統(大覚寺統)の対立が始まる。
同9年(1272年)、後嵯峨法皇が治天と皇位の決定権についてすべてを鎌倉幕府に委ねる形で崩御すると、幕府は後深草上皇・亀山天皇の兄弟どちらとも決めかねて ……