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後伏見天皇(ごふしみてんのう)

第93代天皇[日本]

(建武3年4月6日崩御)

(ユリウス暦) 1336年 5月17日 死去享年49歳

後伏見天皇 - ウィキペディアより引用

後伏見天皇(ごふしみてんのう、1288年4月5日〈弘安11年3月3日〉- 1336年5月17日〈延元元年4月6日〉)は、日本の第93代天皇(在位:1298年8月30日〈永仁6年7月22日〉- 1301年3月2日〈正安3年1月21日〉)。
諱は胤仁(たねひと)。
伏見天皇の第一皇子。
母は、参議左近衛中将五辻経氏の娘、経子。
持明院統。
略歴= 中宮西園寺鏱子(永福門院)の養子となり、その手元で育てられた。
正応2年(1289年)、数え2歳で立太子。
永仁6年(1298年)、父・伏見天皇からの譲位により、11歳で即位。
伏見上皇が院政を執り行った。
2代続けて持明院統が天皇となったため、勢力を巻き返した大覚寺統や幕府の圧力を受け、正安3年(1301年)、大覚寺統の後宇多上皇の第一皇子・後二条天皇に譲位した。
この際、新たに上皇となった後伏見はまだ14歳で皇子がなく、次の皇太子には異母弟の富仁親王(後の花園天皇)がなった。
徳治3年(1308年)、後二条天皇が急死し、後伏見天皇の弟の花園天皇が即位。
しばらく後、伏見上皇が出家して院政を停止したので、これを引き継いで正和2年(1313年)から文保2年(1318年)の間、院政を敷いた。
花園天皇の在位の間、幕府と折衝し持明院統と大覚寺統から交互に天皇を出すと言う取り決めを行おうとした(文保の御和談)が失敗に終わった(両統迭立を参照)。
文保2年(1318年)、在位10年で花園天皇は大覚寺統の後醍醐天皇に譲位した。
その皇太子には大覚寺統の邦良 ……

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