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嵯峨天皇(さがてんのう)

第52代天皇[日本]

(承和9年7月15日崩御)

(ユリウス暦) 0842年 8月24日 死去

嵯峨天皇 - ウィキペディアより引用

嵯峨天皇(さがてんのう、786年10月3日〈延暦5年9月7日〉- 842年8月24日〈承和9年7月15日〉)は、日本の第52代天皇(在位:809年5月18日〈大同4年4月1日〉- 823年5月29日〈弘仁14年4月16日〉)。
諱は神野(賀美能・かみの)。
嵯峨源氏の祖に当たる。
桓武天皇の第五皇子(諸説あり)。
母は皇后の藤原乙牟漏。
同母兄に平城天皇。
異母弟に淳和天皇他。
皇后は橘嘉智子(檀林皇后)。
嵯峨天皇宸翰『哭澄上人詩』部分(最澄の死を悼む詩)釈文:(香煙は)像爐に(続く) 蒼生橋梁に少なく 緇侶(しりょ)律儀疎(うと)し 法軆何ぞ久しく住(とど)まらん 塵心傷みて餘り有り 略歴= 延暦9年(790年)閏3月に、数え年5歳で、生母の藤原乙牟漏を亡くす。
延暦11年(791年)、嵯峨天皇の諱が乳母である賀美能宿禰の出身地の神野郡より賀美能(神野)親王と名付けられる。
延暦18年(799年)2月に元服。
聡明で読書を好み、君主としての器量を持ち、父の桓武天皇からも愛された。
延暦22年(803年)に三品中務卿となる。
延暦25年(806年・大同元年)5月9日に弾正尹となったが、同月19日に兄の平城天皇の即位に伴って皇太弟に立てられる。
だが、平城天皇には既に高岳・阿保の両親王がいたことから、皇太弟擁立の背景には、父の桓武天皇の意向が働いたとも云われている。
ところが、『扶桑略記』によれば、大同元年11月頃に平城天皇が神野親王の皇太弟廃位を画策し、これを知った東宮 ……

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