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天智天皇(てんじてんのう)

第38代天皇[日本]

(中大兄皇子)

(ユリウス暦) 0672年 1月7日 死去享年46歳

天智天皇 - ウィキペディアより引用

天智天皇(てんじてんのう / てんぢてんのう、626年〈推古天皇34年〉- 672年1月7日〈天智天皇10年12月3日〉)は、日本の第38代天皇(在位:668年2月20日〈天智天皇7年1月3日〉- 672年1月7日〈天智天皇10年12月3日〉)。
諱は葛城(かづらき/かつらぎ)。
皇子時代の中大兄皇子(なかのおおえのおうじ / なかのおおえのみこ)の名でも知られる。
「大兄」とは、同母兄弟の中の長男に与えられた大王位継承資格を示す称号で、「中大兄」は「2番目の大兄」を意味する語。
また、661年の斉明天皇崩御後に即日中大兄皇子が称制したため暦が分かりにくくなっているが、『日本書紀』では越年称元(越年改元とも言う)年代での記述を採用しているため、斉明天皇崩御の翌年(662年)が天智天皇元年に相当する。
中臣鎌足と共に大化の改新を行った事などで知られる。
生涯= 大化の改新と即位= 舒明天皇の第二皇子。
母は皇極天皇(重祚して斉明天皇)。
皇后は異母兄の古人大兄皇子の娘の倭姫王。
ただし皇后との間に皇子女はない。
645年7月10日(皇極天皇4年6月12日)、中大兄皇子は中臣鎌足らと謀り、皇極天皇の御前で蘇我入鹿を暗殺するクーデターを起こす(乙巳の変)。
入鹿の父の蘇我蝦夷は翌日自害した。
更にその翌日、皇極天皇の同母弟を即位させ(孝徳天皇)、自分は皇太子となり中心人物として様々な改革(大化の改新)を行った。
また、有間皇子など有力な勢力に対しては種々の手段を用 ……