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舒明天皇(じょめいてんのう)

第34代天皇[日本]

(ユリウス暦) 0641年 11月17日 死去

舒明天皇 - ウィキペディアより引用

舒明天皇(じょめいてんのう、593年?〈推古天皇元年?〉- 641年11月17日〈舒明天皇13年10月9日〉)は、日本の第34代天皇(在位:629年2月2日〈舒明天皇元年1月4日〉- 641年11月17日〈舒明天皇13年10月9日〉)。
諱は田村(たむら)。
和風諡号は息長足日広額天皇(おきながたらしひひろぬかのすめらみこと)。
漢風諡号の「舒明天皇」は代々の天皇と共に淡海三船によって名付けられたとされる。
経歴= 先代の推古天皇は、在位36年3月7日(628年4月15日)に崩御した時、継嗣を定めていなかった。
蘇我蝦夷は群臣に諮ってその意見が田村皇子と山背大兄王に分かれていることを知り、田村皇子を立てて天皇にした。
これが舒明天皇である。
これには蝦夷が権勢を振るうための傀儡にしようとしたという説と他の有力豪族との摩擦を避けるために蘇我氏の血を引く山背大兄皇子を回避したという説がある。
また近年では、欽明天皇の嫡男である敏達天皇の直系(田村皇子)と、庶子である用明天皇の直系(山背大兄王)による皇位継承争いであり豪族達も両派に割れたために、蝦夷はその状況に対応した現実的な判断をしただけであるとする見方もある。
ともあれ、舒明天皇の時代、政治の実権は蘇我蝦夷にあった。
在位中、最初の遣唐使を送り、唐からの高表仁の返訪を受けた。
唐には使者の他にも学問僧や学生が渡り、隋の頃に渡った者も含め、高向玄理と僧侶の霊雲、旻、南淵請安が帰国した。
百 ……