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淳仁天皇(じゅんにんてんのう)

第47代天皇[日本]

(天平神護元年10月23日崩御)

(ユリウス暦) 0765年 11月10日 死去

淳仁天皇 - ウィキペディアより引用

淳仁天皇(じゅんにんてんのう、733年〈天平5年〉- 765年11月10日〈天平神護元年10月23日〉)は、日本の第47代天皇(在位:758年9月7日〈天平宝字2年8月1日〉- 764年11月6日〈天平宝字8年10月9日〉)。
漢風諡号は明治時代になってから付けられたもので、古文書では廃帝(はいたい)または淡路廃帝(あわじはいてい、あわじはいたい)と呼ばれるが、歴代に加えた史書も存在する。
諱は大炊(おおい)で、これは大炊氏(蘇我氏系の御炊氏、あるいは大炊刑部)が養育したからであると考えられる。
経歴= 人物= 天武天皇の皇子・舎人親王の七男として誕生する。
母は当麻老の娘・当麻山背。
だが、3歳で父が没したこともあって、天皇の孫でありながら官位を受けることもなく、存在が注目されることもなかった。
756年に没した聖武天皇の遺言によって新田部親王の子の道祖王が立太子したが、天平勝宝9歳3月29日(757年4月22日)に孝謙天皇によって道祖王は廃され、4日後の同年4月4日(4月26日)、光明皇后(藤原光明子)を後ろ盾にもつ藤原仲麻呂(後に恵美押勝に改名)の強い推挙により大炊王が立太子した。
大炊王は仲麻呂の進言に従って、仲麻呂の長男で故人の真従の未亡人である粟田諸姉を妻に迎え、また仲麻呂の私邸に住むなど、仲麻呂と深く結びついていた。
また、舎人親王の母である新田部皇女は天智天皇の娘であり、天智・天武の両天皇の血筋を引くことも仲麻呂に推された一因であったとす ……