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仲恭天皇(ちゅうきょうてんのう)

第85代天皇[日本]

(天福2年5月20日崩御)

(ユリウス暦) 1234年 6月18日 死去享年17歳

仲恭天皇 - ウィキペディアより引用

仲恭天皇(ちゅうきょうてんのう、1218年10月30日〈建保6年10月10日〉 - 1234年6月18日〈天福2年5月20日〉)は、日本の第85代天皇(在位:1221年5月13日〈承久3年4月20日〉 - 1221年7月29日〈承久3年7月9日〉)。
諱は懐成(かねなり)。
順徳天皇の第三皇子。
母は中宮・立子(東一条院。
九条良経の娘)。
践祚はしていたが即位礼を行う前に承久の乱によって皇位を廃された。
歴代の天皇の中で、在位期間が最も短い天皇である。
生涯= 建保6年(1218年)10月10日、中宮所生の嫡出の皇子として誕生し、生後1か月の11月26日に立太子。
父の順徳天皇が、祖父の後鳥羽上皇と共に鎌倉幕府執権であった北条氏追討の挙兵(いわゆる承久の乱)に参加するため、承久3年(1221年)4月20日に譲位され、4歳で践祚。
同年、祖父の後鳥羽上皇が承久の乱を起こしたが、北条義時の遣わした泰時率いる幕府軍に敗北。
後鳥羽上皇・順徳上皇はそれぞれ隠岐・佐渡に、乱に関与していなかった土御門上皇も自ら望んで土佐に配流された。
7月9日に幕府の手によって懐成親王(仲恭天皇)は皇位を廃され、高倉天皇の第二皇子である守貞親王(後高倉院)の皇子・茂仁王(後堀河天皇)が即位した。
懐成親王は幼児で、幕府の将軍(摂家将軍)三寅(後の九条頼経)の従兄弟であることから、その廃位は予想外であったらしく、後鳥羽上皇の挙兵を非難していた慈円でさえ、幕府に懐成親王の復位を願う願文を納めている。
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