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堀河天皇(ほりかわてんのう)

第73代天皇[日本]

(嘉承2年7月19日崩御)

(ユリウス暦) 1107年 8月9日 死去

堀河天皇 - ウィキペディアより引用

堀河天皇(ほりかわてんのう、1079年8月8日〈承暦3年7月9日〉- 1107年8月9日〈嘉承2年7月19日〉)は、日本の第73代天皇(在位:1087年1月3日〈応徳3年11月26日〉- 1107年8月9日〈嘉承2年7月19日〉)。
諱は善仁(たるひと)。
白河天皇の第三皇子。
母は藤原師実の養女で白河中宮の賢子。
准母は同母姉の媞子内親王(郁芳門院)。
来歴= 応徳3年(1086年)11月26日、立太子と同日に8歳で父の白河天皇から譲位され即位した。
このような短期間での立太子・即位は、異母弟の輔仁親王(摂関家に冷遇された三条源氏の系譜)に皇統が移ることを避けるための白河天皇の強い意向によるものだったという。
即位に伴い、義理の外祖父にあたる関白藤原師実が摂政となり実権を握り、摂関政治への回帰が見られた。
白河上皇は師実を信頼し、院庁の人事も師実の人選に任せており、一方の師実も白河上皇に摂関の任命権を委ねるなど、この時期には師実と上皇は協調関係にあり、白河上皇に院政を敷く意志は無かった。
堀河天皇が成人して関白も藤原師通に代わると、上皇の政治関与に批判的な師通は、自ら政務を執ろうとする堀河天皇に協力的であり、親政に近い状態が現出することとなった。
上皇自身も後見の役目を終えたことに加え、天皇の准母である媞子内親王の崩御を機に出家して政務への意欲を失っていた時期でもあったためこの体制が許容されていた。
しかし承徳3年(1099年)に師通が働き盛りの年齢で ……