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伊達慶邦(だてよしくに)

陸奥仙台藩主[日本]

1874年 7月12日 死去享年50歳

伊達慶邦 - ウィキペディアより引用

伊達 慶邦(だて よしくに)は、江戸時代後期から幕末にかけての大名。
仙台藩13代藩主。
伊達氏29代当主。
官位は正四位下・左近衛権中将。
経歴= 文政8年9月6日(1825年10月17日)、11代藩主・伊達斉義の次男として誕生。
母は側室・山本氏。
幼名は穣三郎。
文政10年(1827年)に父・斉義が死去した際には、穣三郎はまだ幼少であったため、一門の登米伊達家から斉邦が12代藩主に迎えられている。
天保8年(1837年)に、斉邦が姉と婚礼を挙げると同時に、その養嗣子となって諱を寿村(ひさむら)と称した。
翌天保9年(1838年)には12代将軍・徳川家慶の偏諱を賜って慶寿(よしひさ)に改名。
天保12年(1841年)に斉邦が25歳で死去すると、伊達宗家の家督および仙台藩主を継いで従四位少将に叙任され、陸奥守に任官される。
嘉永4年(1851年)に従四位下中将に、安政6年(1859年)には正四位下中将に昇進。
また、藩主就任後からまもない天保14年(1843年)には亡き斉邦の一字を取って慶邦に改名している。
19世紀初頭から、仙台藩は幕府から蝦夷地(北海道)の警衛を命じられていた。
これは会津藩や庄内藩などの東北諸藩も同じであったが、特に仙台藩の担当範囲は最も広く、択捉島、国後島などの千島列島にまで及び、慶邦の代には全蝦夷地の3分1程度にまで拡大していた。
この原野の警衛に要する費用は莫大で、藩財政に重くのしかかり、慶邦は警衛地の一部を仙台藩領に組み込むこ ……

伊達慶邦が亡くなってから、150年と131日が経過しました。(54919日)