伊達斉邦(だてなりくに)
陸奥仙台藩主[日本]
(天保12年7月24日没)
1841年 9月9日 死去享年25歳
伊達 斉邦(だて なりくに)は、江戸時代後期の大名。
仙台藩12代藩主。
伊達氏28代当主。
官位は従四位上・左近衛権中将。
経歴=
文化14年9月27日(1817年11月6日)、登米伊達家当主・伊達宗充(5代藩主・伊達吉村の八男・村良の子)の長男として登米郡寺池村の登米館にて誕生した。
母は片倉村典の娘。
『仙台叢書』では文化14年5月28日出生とある。
幼名は藤三郎、後に幸五郎。
正室は11代藩主・伊達斉義の娘・勁松院綵姫。
文政2年5月(1819年)に男子がなかった藩主・伊達斉宗が病床に伏したために、後継者を選定する必要が生じ、当時2歳であった幸五郎(斉邦)が、伊達一門の涌谷伊達家の源次郎(のちの伊達義基、当時12歳)、支藩一関藩主・田村宗顕養弟で従兄(父・宗充の実兄である田村村資の子)の田村顕嘉同様に藩主後継候補に挙がった。
年齢や血縁の近さから田村顕嘉が伊達斉義として11代藩主に就任する。
文政10年(1827年)1月25日に斉義の婿養子となり、翌日に通称を総次郎と改めた。
翌文政11年11月27日(1828年1月13日)に養父の斉義が没すると、斉義の実子である穣三郎(後の13代藩主・伊達慶邦)が幼少であったこともあり、同年12月に家督を相続した。
なお、『仙台叢書』などによると、斉義が実際に死去してから後継者が決まらずに喪を秘している期間があり、この間に老中(『三百藩家臣人名事典』では水野忠成とする)より斉義の正室に11代将軍・徳川家斉の子を婚 ……
伊達斉邦が亡くなってから、183年と72日が経過しました。(66913日)