北条氏政(ほうじょううじまさ)
戦国大名[日本]
(天正18年7月11日没)
1590年 8月10日 死去切腹享年53歳
北条 氏政(ほうじょう うじまさ)は、戦国時代の相模国の戦国大名・武将。
後北条氏の第4代当主。
父は北条氏康、母は今川氏親の娘・瑞渓院。
今川義元の甥にあたる。
子に北条氏直など。
正室の黄梅院は武田信玄の娘で、武田義信や武田勝頼とは義兄弟にあたる。
通称は新九郎で、官位の左京大夫または相模守も同様に称した。
号は截流斎。
生涯=
家督相続まで=
嫡男となるまで=
天文7年(1538年)、第3代当主・北条氏康の次男として生まれる(「北条系図」『群書系図部集第四』)。
幼名は松千代丸。
ただし、黒田基樹は『石川忠総留書』に「氏政亥五十二」と記されているのを根拠に天文8年(1539年)生まれが正しいとする説を提示している。
また、天文18年(1549年)に公家の飛鳥井雅綱が氏康の子である西堂丸と松千代丸に蹴鞠を伝授した記録が残されており、そのうち西堂丸は兄・新九郎氏親の幼名と推定できるため、残された松千代丸が氏政の幼名であったと推定できる。
嫡男として=
松千代丸は次男であり本来ならば家督相続は不可能であったが天文21年(1552年)頃に兄・氏親が16歳で夭折したために世子となり、北条新九郎氏政と名乗る。
従って、氏親が死去してから2年後の天文23年(1554年)6月までに元服したとみられる。
氏政は元服後、北条家歴代のものであり、かつ兄氏親と同じ、仮名新九郎を称した。
氏政の初陣がいつなのかは定かではないが、20歳になる頃には既に氏康の後継 ……
北条氏政が亡くなってから、434年と100日が経過しました。(158619日)