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宮本常一 氏(みやもとつねいち)

民俗学者[日本]

1981年 1月30日 死去胃がん享年75歳

宮本常一 - ウィキペディアより引用

宮本 常一(みやもと つねいち、1907年8月1日 - 1981年1月30日)は、日本の民俗学者・農村指導者・社会教育家。
経歴[編集] 山口県屋代島(周防大島)生まれ。
大阪府立天王寺師範学校(現大阪教育大学)専攻科卒業。
学生時代に柳田國男の研究に関心を示し、その後渋沢敬三に見込まれて食客となり、本格的に民俗学の研究を行うようになった。
1930年代から1981年に亡くなるまで、生涯に渡り日本各地をフィールドワークし続け(1200軒以上の民家に宿泊したと言われる)、膨大な記録を残した。
宮本の民俗学は、非常に幅が広く後年は観光学研究のさきがけとしても活躍した。
民俗学の分野では特に生活用具や技術に関心を寄せ、民具学という新たな領域を築いた。
宮本が所属したアチックミューゼアムは、後に日本常民文化研究所となり、神奈川大学に吸収され網野善彦らの活動の場となった。
学風[編集] 宮本の学問はもとより民俗学の枠に収まるものではないが、民俗学研究者としては漂泊民や被差別民、性などの問題を重視したため、柳田國男の学閥からは無視・冷遇された。
20世紀末になって再評価の機運が高まった。
益田勝実は宮本を評し、柳田民俗学が個や物や地域性を出発点にしつつもそれらを捨象して日本全体に普遍化しようとする傾向が強かったのに対し、宮本は自身も柳田民俗学から出発しつつも、渋沢から学んだ民具という視点、文献史学の方法論を取り入れることで、柳田 ……

関連作品

宮本常一が亡くなってから、43年と178日が経過しました。(15884日)