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木下順二 氏(きのしたじゅんじ)

作家評論家[日本]

2006年 10月30日 死去肺炎享年93歳

木下順二 - ウィキペディアより引用

木下 順二(きのした じゅんじ、1914年〈大正3年〉8月2日 - 2006年〈平成18年〉10月30日)は、日本の劇作家、評論家。
代表作に『夕鶴』がある。
日本劇作家協会顧問。
母方の伯父は佐々醒雪(俳人、国文学者)。
著名な進歩的文化人(戦後民主主義者)であった。
来歴・人物= 東京市本郷区(現・東京都文京区本郷)生まれ。
父は熊本県伊倉町長を務めた木下弥八郎、祖父は玉名郡長・衆議院議員を務めた木下助之。
異母兄は天文学者の木下國助、異母姉・静は侍従次長の木下道雄に嫁いだ。
第二女子師範附属小学校を経て郷里熊本市に戻る。
実家は祖父の代まで惣庄屋を務めた熊本の名家だった。
旧制熊本中学(現熊本県立熊本高等学校)、第五高等学校を経て1936年、東京帝国大学文学部英文科に入学し、中野好夫の指導でシェイクスピアを専攻した。
1939年、法政大学講師。
1941年東京大学大学院文学部英文科修士課程修了。
第二次世界大戦後、明治大学講師となる。
1947年、山本安英らと劇団『ぶどうの会』を結成。
『彦市ばなし』などの民話劇を経て『婦人公論』1949年1月号に『夕鶴』を発表(10月丹波市天理教講堂でぶどう座が初演、1950年1月東京初演)。
同年「夕鶴」で毎日演劇賞を受賞。
『芸術』1949年3月号に『山脈』を発表(3月29日 - 4月14日初演、三越劇場、民芸)。
『世界』1951年6-7月号に『蛙昇天』(1952年6月、三越劇場、ぶどうの会初演)を発表。
1952-64年に明治 ……

木下順二さんが亡くなってから、18年と34日が経ちました。(6609日)