中江兆民(なかえちょうみん)
啓蒙思想家、ジャーナリスト、政治家[日本]
1901年 12月13日 死去喉頭がん享年55歳
中江 兆民(なかえ ちょうみん、1847年12月8日〈弘化4年11月1日〉-1901年(明治34年)12月13日)は、日本の思想家、政治家。
本名は中江 篤介(なかえ とくすけ)。
自由民権運動の理論的指導者であり、第1回衆議院議員総選挙における当選者の一人。
フランスの啓蒙思想家ジャン=ジャック・ルソーを日本へ紹介したことから東洋のルソーと評される。
「兆民」は本名ではなく号であり、『億兆安撫国威宣揚の御宸翰』に基づく「億兆の民」の意味。
「秋水(しゅうすい)」とも名乗り、弟子の幸徳秋水に譲渡している。
また、他の号に「青陵」「木強生」がある。
幼名は竹馬(ちくま)。
生涯=
誕生と修学=
高知城下の山田町(現・高知市はりまや町三丁目)に生まれる。
文久元年(1861年)2月に父が死去し、5月には家督を相続して足軽身分となる。
文久2年(1862年)には藩校の文武館開校と同時に入門し、細川潤次郎、萩原三圭らの門下で学ぶ。
外国語なども学び、慶応元年(1865年)9月には、藩が派遣する留学生として長崎へ赴。
このころ郷土の先輩である坂本龍馬と出会っている。
龍馬に頼まれてたばこを買いに走った、などの逸話を残している。
その後、幕府の語学所学頭平井義十郎(平井希昌)からフランス語を学ぶなど外国語習得に努める。
慶応3年(1867年)5 - 6月に江戸に移り、村上英俊の達理堂で学ぶが破門され、横浜天主堂の僧にも学んだという。
同年末に兵庫が開港さ ……
中江兆民が亡くなってから、122年と343日が経過しました。(44904日)