徳川頼房(とくがわよりふさ)
常陸水戸藩初代藩主[日本]
(寛文元年7月29日)
1661年 8月23日 死去享年59歳
徳川 頼房(とくがわ よりふさ)は、常陸水戸藩の初代藩主。
徳川家康の十一男で水戸徳川家の祖。
生涯=
1603年(慶長8年)8月10日、江戸幕府創始者であった初代征夷大将軍徳川家康の十一男として山城国京都の伏見城において生まれる。
家康60歳。
母は於万。
幼名は鶴千代。
1606年(慶長11年)9月23日、3歳にして常陸下妻10万石を、次いで1609年(慶長14年)12月12日、同母兄頼将(頼宣)の駿府転封によって新たに常陸水戸25万石を領したが、幼少のため父である大御所家康の許で育てられた。
『南紀徳川史』では、頼房が徳川姓を許されたのは1636年(寛永13年)とし、それまでの33年間は「名字定まらず」としており、同母兄頼宣の分家とみなされていたという説もある。
1610年(慶長15年)7月、家康の命により、実子市姫を亡くした於勝(英勝院)の養子となる。
1611年(慶長16年)に元服、頼宣と同様に清和源氏の通字の一つ「頼」の字を用いて頼房と名乗った。
1614年(慶長19年)、大坂の陣では駿府城を守備した。
家康の死後、駿府から江戸に移ったのちもしばらく水戸藩領には赴かず、1619年(元和5年)10月、17歳のとき初めて就藩した。
しかし2か月後の12月に江戸へ帰り、次の就藩は1625年(寛永2年)である。
江戸と領地を往復している異母兄義直や頼宣と異なり、青年時代のほとんどを江戸で過ごした。
これは異母兄である将軍秀忠が、頼房の1歳下の将軍世嗣家光の年齢の近い身内と ……
徳川頼房が亡くなってから、363年と87日が経過しました。(132673日)