長谷川伸(はせがわしん)
作家[日本]
(別名義 : 山野芋作・長谷川芋生)
1963年 6月11日 死去享年80歳
長谷川 伸(はせがわ しん、1884年(明治17年)3月15日 - 1963年(昭和38年)6月11日)は、日本の小説家、劇作家。
本名は長谷川 伸二郎(はせがわ しんじろう)。
使用した筆名には他にも山野 芋作(やまの いもさく)と長谷川 芋生(はせがわ いもお)があり、またそのほか春風楼、浜の里人、漫々亭、冷々亭、冷々亭主人などを号している(筆名が多いのは新聞記者時代の副業ゆえ名を秘したためである)。
大衆文芸作家であり、人情の機微に通じ、股旅物の作者として知られた。
「股旅物」というジャンルを開発したのはこの長谷川であり、作中できられる「仁義」は実家が没落して若い頃に人夫ぐらしをしていた際に覚えたものをモデルにしたという。
長谷川伸生誕地の碑(横浜市)
略歴=
神奈川県横浜市(日ノ出町)の土木請負業の家に生れる。
長谷川寅之助の二男。
三谷隆正、三谷隆信の異父兄。
実母は横浜市泉区の出身だが、夫の暴力・放蕩が原因で、伸が3歳のとき家を出る。
後年『瞼の母』の主題となる母との再会を果たした。
実家が没落したため小学校3年生で中退して船渠勤め等に従事。
品川の遊郭で出前持ちをするなど住み込みの走り使いや水撒き人足として働く間に、港に落ちている新聞のルビを読んでは漢字を覚えた。
大工や石屋の見習いなどを経たあと、体より頭を使う仕事をしたいと、好きだった芝居の評を新聞社に投稿し、それが縁で1903年(明治36年)にその新聞 ……
長谷川伸が亡くなってから、61年と164日が経過しました。(22444日)